<ゆ>
M也さんが、事故当時者としての記録をしっかり記述してくれたので、ビレイヤー&パートナー視点での顛末を記録しておきたいと思います。
<事故当日>
この日は7時台に現地の駐車場に到着しており、8時過ぎにはクライミングを開始。60m程度手前のエリアにはクライマーが二人いたが、私たちの登っていたエリアには他にクライマーがおらず、早朝の寒さに震えつつも私が先にアップで別のルートをマスターで登ってヌンチャクを回収、M也が5.11Bのルートをマスターで登った。その後の事故の流れはM也の記載通り。
「ロープ張ってー」と言われて、テンションをかけようとロープを手繰ったが、どこまでも手ごたえがなく、M也が落下してくるので「え?ランナウトしてた?」と慌ててロープを手繰りまくるが全く手ごたえがなく、M也は「わー!!!」という叫び声とともに地上まで落下し、ドスン!と振動が伝わるほどの衝撃で地面に激突。「絶対死んだ、、」と思うような衝撃だったが、M也の意識は一度も途切れることなくずっとあり、落ちてすぐ「ううう・・・」と呻いている。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫。多分折れてない」とかいって起き上がろうとするので、「いや、絶対折れてるから動かないで!!!」といって平らなところで動かないようにしてもらう。顔が切れて出血しており、あふれ出すように鼻血も出てきたので窒息しないように顔を横向きにする。
一瞬「救助?ヘリ?どうやって呼べば??」とパニックになったが「ここは電波が入るから普通に119だ」と気づき、すぐに携帯で119番。(のちに消防局に確認したら、このとき8時45分)
119への最初の伝達事項は、事故・怪我の状況と事故現場の場所の特定。このとき「Google Mapで「****岩駐車場」と検索すると駐車場の位置が出て、そこから西に山道を20分くらいです」と伝えたのと、「Google Mapでの座標は35°49’・・・・・N, 138° 32’・・・・Eです」という情報で場所が特定された。救助でもGoogle Mapがこんなに役立つとは驚いた。公開されている岩場はGoogle Mapに登録しておくといいかもしれない。
私が119番と話している間に、隣のエリアにいた二人が衝撃音を聞いて駆けつけてくれた。その後、消防局側がどのように救助するか検討していたようだが、携帯電話が鳴り「9時15分にヘリがそちらに向かって出発します。着ている服の色と現場にいる人数を教えてください。ヘッドライトがあれば、ヘリに向かって照らしてください。ヘリの風で吹き飛ばされるので、本人の靴やハーネスなど落ちるリスクがあるものは外し、すべてザック等にまとめて遠くにおいてください」とのこと。助けに来てくれた二人にヘッデンの準備や荷物の片づけなどをお願いし、実質、私はほとんど電話対応しっぱなしだった。私一人では対応しきれないくらいやる事があり、救助に複数名いることは大事だと感じた。M也はずっと意識があるがそれほど痛そうでもなく、「あれ?どうしてこうなってるんだっけ?記憶がない」と言ってるので、強く頭を打っていないか不安になる。
10分くらいでヘリが到着したと思うが、場所の指示が悪かったのか通りすぎる。電話がつながっていたので、ヘリが通り過ぎたことを伝えたところ、ヘッドライトを認識して場所を特定し戻ってきた。下地はヘリが着地できるスペースはなかったため、上空に待機し、救助隊員が下りてきてM也を確認。背中からお尻までを支えるようなシートに乗せて救助隊員の方と一緒にヘリに向かって吊り上げられた。風に飛ばされないように荷物はまとめて、近づくと危ないので離れて!と指示があった通り、ヘリからの風はかなり強く、舞い上がった枝などで怪我をしてもおかしくない状況で、荷物は全て砂まみれになった。
後日談で、M也が背中とお尻までをカバーするようなシートで吊り上げられた話をすると、「え、私のときは、担架みたいなので寝た状態だったよ」とか「僕の時は、自分が履いてたハーネスで直接吊り上げられました(のちに腰椎棘突起骨折が発覚)」など、ヘリでの救助はケースバイケースなことが分かった。患者の様子やヘリの燃料の残り、上空での安定度などいろんな要素が影響しているのだろうと勝手に推測するが、これだけヘリでの救助の話が色々聞けてしまうとは、、、クライミング仲間の経験値に驚いた。
ヘリでM也が去ったあと、私は普通に荷物を持って駐車場に戻り、車で山梨県立中央病院へ向かうことになった。パニックになっているので運転が危ういと気づき、深呼吸してお茶を飲んで冷静さを取り戻す。M也が墜落した衝撃音がフラッシュバックし「玉突き事故の真ん中で、エアバッグが出たときに聞いたような音だったな。時速何キロでぶつかったんだろう」などと冷静に考えたりもする。車で出発する前にM也の実家にLINEで連絡。どれだけ酷い状態になっているか現時点ではわからず、変に不安にさせても安心させてもいけないと思い「落下して、意識はあるがヘリで運ばれた」ことだけ伝えて、病院について状態を聞いてから電話しようと思う。運転していると山梨県警から電話があり、事故の状況、二人分の住所・電話番号・勤務先など聞かれる。当然停車しての対応なので、山道で立ち往生で不安になった。それにしても、今回つくづく実感したが、クライミングパートナーの緊急連絡先は絶対把握しておくべきだ。とりあえず、家族の連絡先さえ分かれば、職場への連絡等もできる。
運転しながら、ロープの結び目をちゃんと確認しなかったことを悔いて意識が散漫になってしまうが、間違いなく今は冷静さを失っているので、いったん考えるのは保留にして運転に集中する。そんな感じで病院に到着し救急救命センターへ。山梨県警の方がいて、医師の先生の説明の合間に1時間ほど事情聴取?を受けた。医師の説明を受けると、CTやMRIで見る限り奇跡的に脊椎や脳、内臓に損傷はなく、足に痺れなど出ていないが、今後悪い症状が出ないとは言い切れないとのこと。また、解放骨折している顔と腰椎は早急に手術が必要で、手術日程は前日までわからないが、緊急時の処置に合意が必要なので、立ち合いがいるとのことだった。もっと悪い状態を考えていたので奇跡的な状態に感謝して、M也の実家にもようやく連絡できた。M也とは10分くらい最後に話せたが、そこからは原則面会禁止で救急救命センターにいる間は携帯もなしとのこと。M也は「本読みたいから持ってきて」なんて言っており、一番ショックを受けているはずの本人が、あまり動じておらず冷静なのはありがたかった。帰路についたのは夕方で、家に帰った後はしばらくやめていたお酒をたっぷり飲んで寝ることにした。
<事故翌日以降>
翌日の日曜日は本人の希望に応じて「寝たまま読書できる眼鏡」を買ったり入院グッズなど買い出しを済ませ、手術待機のために山梨でしばらく車泊できるように準備。ネットで「腰椎破裂骨折は、後から麻痺などの症状が出ることがある」などを読んで「階段が大変だから、この家には住めないかも。引っ越しかな。仕事どうなるんだろう。。。」などと悶々とするが、悪いことを考えても現時点では何もできないのに気付いて、悪い想像はやめるようにする。かたや開拓チームの皆さんは事故後残置してしまったヌンチャクを含め、開拓現場にあったヌンチャク40本以上!も回収してくれたり諸々の現場対応をしてくれた。
その後は11月20日に事故、祝日を挟んで24日に腰椎手術、30日に顔の手術となったが、漫喫でテレカンに出たり、山宮温泉入ってワインをラッパ飲みしながら車泊したりしたり、手術待機中もPCで仕事できたりであまり仕事も休まず、あまりお金もかからず過ごすことができた。コロナで面会禁止かつ在宅勤務可でなければ、病院で弱っているM也を見ながら、あまり出来ることもなく有給も使いきり疲れ切ってしまったかもしれないと思うと、皮肉にもコロナ禍の状況に助けられたかもしれない。
そして事故からちょうど2週間後の12月4日、面会禁止のM也さんと「偶然」病院の1階にあるコンビニで会った。
「退院は年明けで、リハビリ病院に転院になると思います」と言われていたM也が、コンビニで普通に買い物をしており、なんなら一番下の段にある商品をかがんで取っている。4日前は全身麻酔で6時間の手術を受けて、こんな状態だったのに。
電話で聞いてはいたが信じられない状態に、神様とか病院とか救助の人々とか色々感謝しないではいられない。それから1週間後には「もう退院していい」と言われ、2週間後にはうちに帰ってきて今に至る。
<今後のために>
というわけで、どう締めればいいか分からない投稿になってしまったが、私の学んだ事故からの教訓は以下の通り。
・事故の時、素早く119して場所を電話で伝えられるよう、電波が届く場所の把握と場所を伝える方法を知っておく。
・クライミング仲間の緊急連絡先は把握しておく。
・クライミングはできれば複数名で。
・ヘッドライトはすぐ出せるところに光が遠くに届くものを準備。
・登る前の「結び目OK、ハーネスOK、ビレイOK」確認は自分の分だけでなく、絶対相手のも確認すること。
・事態が起きてしまったら、役に立たない悪い想像はやめて、今わかっている現実だけに向き合って対処し、できるだけ理性と自分の生活を保つ。
沢山の人が事故後の対応をしてくださり、心配して暖かい言葉をかけてくれたり、うちまでお見舞いしてくれたり、本当に改めてクライマー友達の皆様に感謝です。この場を借りてお礼します。今回の事故の情報が、少しでも皆様の役に立てればと思います。
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