今さらながらにオリンピック考

オリンピックと言えば、クライミング。クライミングと言えば、至るところで炎上している女子のボルダリング課題。全く書く気はなかったのだが、SNS上で流れてくる意見を見ていると、何かを吐き出したい気持ちになり、尚且つ、吐きだしたい分量が多いので、とりあえず自分のブログに書くとにした。

SNSを見ていると、低い身長の選手に対する公平性を問う意見が多い気がするのだが、私はその辺にはあんまり興味がない。それより、今回の一連のニュースを見ていて思うのは、そもそも「マットで助走をつけてスタートホールドにジャンプし、そこに届くかどうか」って、ボルダリング能力なんですか?ってこと。どこのジムに行ってもそんな課題は見ないし、あっても基本的には余興でやる程度。岩場にあれば、基本的には登る対象にならず、そのジャンプ課題を克服するために何年も岩場に通っているボルダラーなんて聞いたことがない。スタートできない課題はあっても、スタートホールドが取れない課題って何?課題?ボルダー?

ところが、そんなボルダリング能力の、仮にも世界のトップを決める大会で、「マットで助走をつけてジャンプし、スタートホールドに届くかどうか」が問われ、それができるかどうかが、競技全体のかなり大きなウェートを占めている。それって、何を競う競技ですか?登る技術、ボルダリング能力を競うのだとすれば、さすがにおかしくない?純粋に登る技術、多くのクライマーがボルダリングだと認識している技術で競うべきだと思うのです。広い視点でみれば、地ジャンもボルダリングだというのはわかるけど、それは、昔あったランジコンテストとか、バスケでいえばダンクコンテストみたいな余興的なカテゴリーの中で競うべきものであり、ボルダリング競技の世界のトップを決める大会で重視するポイントではないのではないのかな。スタートホールドが1本指懸垂できないと次に行けないとか、4㎜のBeastMakerにぶら下がれないと次行けないとかならまだわかる。それって、多くの人が認識しているボルダリング能力に直結しているから。

けど、地面からのジャンプ力、しかも助走つける場所がマットって何よ。体操競技の鉄棒や吊り輪では、最初にサポートが入ってぶら下がる所まではやってもらえる。問われるのは鉄棒自体、吊り輪自体の技術であって、鉄棒や吊り輪にジャンプすることはその競技の本質とは関係がないから、ジャンプしてそこに届くかどうかは問われない。ジャッジが判断するのもそこ。観客が見るのもそこ。ボルダリングも本来そうあるべきじゃないか?つまり、純粋に登る技術、そのための強さを競うべきだと思うのです。

マットで助走してスタートホールドに届くかどうかは、クライミングの本質とは関係がない、というのが私の立場。リーチ課題を否定はしないけど、今のルールで行くと、全ての課題のスタートがリーチ課題になっていても、誰も文句を言えずに競技として成立することになる。みんな、そういうのが見たいのかな。ボルダリング競技の世界一が、そういうことで決まるのが妥当だと思っているのかな。世界中の人がおかしいと声を上げているのだから、従来からある『競技ボルダリング村』の外の人の意見も聞いて、見直す時期に来ているのではないでしょうか。

公平性の議論はその後の気がします。

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