《ゆ》
人生、思いもよらないことがきっかけで、良いことが起きたり、悪いことが起きたりするものだ。Facebookによると、初めてヨセミテに来たのは2010年10月。務めていた研究所が潰れただけでも大変だったのに、私生活までもっと困ったことが起きたり、ついでに指もパキってたりして、「自分探しの旅」に出かけざるを得なくなった私は、単身でビショップを旅することにした。「ハイボールだって全然怖くないもんね!人生もう失うものないし!」といった感じで、女一人で6時間ロサンゼルスからドライブし、岩登りのためだけに砂漠の中の田舎町にやってきて、バターミルクのハイボールをマット一枚で登る私は相当変な生き物だっただろう。しかも今では考えられないことだが、Wifiもスマホもカーナビさえもたず宿も予約しないで、テントとマットとトポだけ持って、音信不通状態で旅だったのだから、異常としか言いようがない。
そんな状態でビショップにたどり着いたが、とにかくバターミルクの岩は美しく、ハッピー&サッドボルダ―はどこまでも面白く、クライマーは誰だって素敵で、ゲイカップルやらスエーデン人など不思議な友達もできて、帰るころには只々楽しい旅をしているだけのシアワセなクライマーになっていた。
(2010年Bishop Buttermilk)
そんなビショップでクライマーと話していると「YosemiteはTioga Roadを使って4時間足らずで行けるよ」とのこと。ある朝「今日はヨセミテ行こう!」と思い立って朝3時に起きてテントをしまい、フラッとヨセミテに観光に行った。朝焼けに浮かぶTuolumneに心を奪われながら、誰もいない時間にヨセミテに着いた私は無銭でゲートを通り、しばらく運転をしながらふと上を向くと、El Captainが目の前にそびえたっていた。感動とかそういう言葉の出てくる前に、ただ静かに神聖な気持ちが下りてくるような、不思議な光景だった。
あれから7年。私は何故か単身赴任でアメリカに住んでいて、遊びに来てくれた夫をサンノゼでピックアップし、二人でヨセミテに向かうことになっていた。あのとき研究所が潰れていなかったらアメリカで働くこともなかったし、M也に会うこともなかったかと思うと、人生は何がどうなるものやら分からない。とりあえず困ったことがおきても、やるせない気持ちになっても、腹をくくってただ生きておけばいいんだな、と思った。
神聖なEl Capitan前にて最近学んだ「コマネチ」を披露する私。
テレビ見ないで育ったので、大人になるまでこの技を知りませんでした。
コメント
手の角度がいまいちだなぁ。
コマネチはきわどいエロさを一撃で表現出来ないと駄目だな(笑)
先生!修行不足でした!!ご指導お願いします!
カメラマンである、私の指導が足りなかったばっかりに申し訳ありません!