次に向かった場所は浦上天主堂、それから世界遺産に認定されるかも知れないと言って騒がれている大浦天主堂。
大浦天主堂
色々と見ている内に、そもそもザビエルは、どうしてわざわざ日本に来たんだろうとか、当時の日本人はなぜそんなに簡単に、見ず知らずのおじさんの言うことを信じてしまったのだろう、という疑問で頭の中がいっぱいになった。それから、歴史の教科書では「隠れキリシタン」という言葉が使われていたはずなのに、ここでは「潜伏キリシタン」という言葉が使われており、ますます謎が増えてくる。
あとからネットで調べたところ、禁教令以降、自分達がキリシタンであることを隠していたが250年の時を経てカトリックに戻ったのが潜伏キリシタンで、結局カトリックに戻らなかったのが隠れキリシタンなのだそうで、隠れキリシタンは長崎には未だに1500人ぐらいいるらしい。また、五島列島には「辻」という名字が多いのだが、「辻」という文字のの真ん中に十字架があることから、隠れキリシタンがこの字を名字に付けたのだそうだ。
教会関係を見終わった後は、出島とグラバー園へ。まずは出島。
出島というと力士の四股名でしか思い出せなかったが、長崎の出島は観光スポットとしてかなり面白かった。出島はポルトガルやオランダとの交易のあった長崎に、外国人を管理する目的で作られた人工島なのだが、貿易のためにやってきた彼らがどういうところに寝泊りしてどんな暮らしをしていたのか、どういう物を輸入し、どういう国、地域と交易があったのかがよくわかる様になっている。当時の暮らしを描いた絵の中にビリヤードがあったりして、武士や侍はとは無縁な文化の臭いを感じた。そもそも長崎は何藩だったのか? と行った疑問も湧いてくる。 だが、長崎はなんとどこの藩にも属さず、幕府直轄の領地だったらしい。
さて、出島を堪能した後はグラバー園。
1860年頃から長崎に住み始めたイギリス人商人達が住んでいた洋風建築物を移設して一箇所に集めた観光スポットだ。
中にはリンガー邸なるものもある。リンガーハットはリンガー氏とは直接関係ないが、これに因んで付けたらしい。
またイギリス商人のグラバーはキリンビールのマークについて提言した人でもあるのだが、グラバー邸の中にはシーサーが置いてあって、これがキリンビールのマークのモデルになったという説明書きがあった。
道端で買った、長崎名物「チリンチリンアイス」。ロッテの「爽」より美味いかも。
長崎名物「吉宗」の蒸寿司と茶碗蒸し。
間違いなく、今まで食べた茶碗蒸しでナンバー1。
こうした、様々な長崎の歴史や文化を見るに付け、長崎が如何に特殊な文化を育んで来たかが実感できた。東京側から見た長崎は、何のアピールも発信もない県のように見えていたのだが、長崎の側に立って見ると、そもそも東京、大阪といった都会にはあまり魅力を感じない。長崎は何百年も前から海外に目を向けていて、日本本土よりも進んだ文化を持っており、わざわざそっちに向けてアピールする必要が無かった地域なのではないか。
海外指向で、自らはあまりアピールや発信をしようとしない、長崎先生まれのY花のルーツが少しわかった気もした。
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