先日杉野さんが、事故で亡くなったと聞いてとても驚いた。もちろん信じられなかったし受け入れられないから、何が起きたのだろうかいう想像ばかりが膨らんだ。それから数日が経って、多くの人が杉野さんへの思いを書いてSNSで発信しているのを読んでいるうちに、ようやくそれが現実のこととして受け入れられるようになり、それと共に悲しい気持ちが強く湧いてきた。
東さんはfacebookで、「これから日本のクライミングは杉野保のいない世界を歩んでいくことになる」と書いていたんだけど、これからは、杉野保のいない城ケ崎になるということでもある。それぐらい影響力のある人だった。ルート開拓に関して言えば、今トライしているスプラッシュ、4年前からトライしているコロッサス、私の究極の目標ルートであり、おそらく私には登れないであろうペタシマン(小川山)。どれも杉野さんが残した名ルートで、最初に取り着いた時には、「えッ、そこ攻めるの?」的な思いを抱かせる、攻撃的なライン取りの魅力的なルートばかりを残している。
杉野さんの講習を受けたことはないけど、城ケ崎で頻繁に会うためか、こちらのことは認識していただいていた。Y花がスプラッシュを登ったことも知ってるし、「コロッサスも女性で登った人はいないよ。頑張って(って伝えて)。」と、コロッサストライ中のY花に対するエールを私に伝えてくれたのは昨年のことだった。
今年になってからは、先週と先々週に、八幡野の「みなとや」の銭湯でお会いしていた。ここで出会う確率は以外と高く、杉野さんは、亀の甲羅を背負ったような分厚い背中をしていたので、湯煙の中にいてもすぐわかった。先々週は、「おとじろうのエリアに面白い12aがあって、(今日は)そこで講習をしていた」という会話をしたのが最後だった。今回は、おとじろうのエリアで、ルートのない側を見に行った時(おそらくは、そこにルートを開拓できないか確認しようとして)に転落したとのことだった。最後の最後までパイオニアスピリッツを持ち続けていたんだな。
スプラッシュは、登れた後に会うことがあったら報告しようと思っていた。遂に報告することはできなくなってしまったけど、引き続きスプラッシュへのトライは続けている。先週は、サーカスライトのパートまでノーテンで繋がったのだが、昨日は後退。私がやりたい『杉野ルート』は他にもたくさんあるけど、その一つ一つがとても厳しい。
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