生と死の分岐点

《M》

私がクライミングを始めたのは2001年の11月。そこから換算すると、クライミング歴は2021年11月でちょうど20年となり、客観的に見ればベテランの域に達しているはずなのですが、そんな節目の11月20日にグランドフォールという事故を起こしてしまいました。
この半年間はほとんどの時間を山梨県の某エリアでルート開拓に費やしており、事故もそのエリアで起きましたが、その日は開拓をせずY花と一緒にみんなが作ったルートを登る日にしようと決め、アップで11bのルートを登った際に発生しました。また、フォールした理由はブーリンで結んでいたロープがほどけたためで、開拓とは何ら関係がなくルートに問題があった訳でもありません。
事故時のパートナーはY花でしたが、事故を聞きつけた人からは多大な心配を頂くとともに、「なぜグランドフォールに至ったのか?」という質問が多く、またこうした事故については原因をできるだけシェアしておくべきと考えてこの記事を書くことにしました。幸い私は脳にダメージを受けず、当初2か月と言われた入院も、わずか3週間で済んで今は自宅で療養中です。(コルセット常着ですが)

退院後

(退院しています。)
最もダメージを受けたのは背骨で、腰椎の1番を破裂骨折してしまいましたが、手術も無事に終わって退院し今は歩けるようになっています。現在の状態は、前回のY花の記事の通りです。

背骨ビフォーアフター②


ただし、腰椎に負荷が掛かるトレーニングは最低3か月経過してからと言われており、骨がくっ付くのには半年かかるらしいので、しばらくはリハビリに専念する予定です。
まず、事故の背景と経緯は次の通りです。【事故の経緯】①新規にできた11bのルートをマスターで登って終了点に到達。途中ノーテン。
②終了点にはカラビナが無かったため結び変えをする必要があったが、ヌンチャクを使い切っていたため、安全確保ができなかった。③結び変えをするために、このルートを一旦クライムダウンしてヌンチャクを一つ回収し、改めて終了点まで戻った後に終了点に安全確保することを考えた。④まずは終了点直下の最終ヌンチャクのあるポイントまでクライムダウンした。
⑤最終ヌンチャクを回収して登り返すと5m以上のランナウトを強いられて危険なので、更にその下にあるヌンチャクを回収してから終了点まで登り返すことにした。⑥④の終了点直下の最終ヌンチャク地点にたどり着いた時点で、そのヌンチャクを手で掴み、その下にあるヌンチャクの位置を確認してからビレイヤ―(Y花)に「ぶら下るから、降ろしてー」と声を掛けてぶら下がったところ、そのままグランドフォール。落ちた距離は8~10m。推定時刻は8時45分。
⑦《Y花の証言》
-フォールする際に一旦2mぐらい落ちたところで速度が落ち、その後地面まで墜落。
-大声を上げて落ちてきて、ものすごい衝撃音で地面に落下した。

【怪我の状況】
(Ⅰ)・腰椎、胸骨、棘突起3本、上顎骨、頬骨、眼窩底骨を骨折していただが、脳にダメージがなく、両手両足は奇跡的に無傷だった。
(Ⅱ)グランドフォール直後は意識がはっきりしており、強い痛みもなく、実際骨が折れてるのは自分ではわからなかった。ただし、腰が全く動かなかった。
(Ⅲ)顔面をどこかで強打したためか、⑥の先の記憶が飛んでおり、何が起きたのかは全くわからなかったが、「自分は落ちたのだ」、ということだけを理解していた。それ以外のことは考えられず、その後ヘリで山梨県立中央病院に運ばれた。

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※病院に駆け付けたY 花に、「ちょっと写真撮っといて」と自ら要求して撮った写真。自分でも状況が分からないぐらい痛みはありませんでした。既に治っているので、ご心配なく。
(Ⅳ)右手に強烈なロープバーンの跡が残っていた。皮膚が深くえぐれるほど強烈で、摩擦熱でカリカリになっていた。

【事故時のその他の状況】・グランドフォールした際に、ハーネスにロープは結ばれておらず、ロープは全てのヌンチャクを通った状態で宙に浮いていた。・グランドフォールした衝撃音で、80m先にいたパーティが駆けつけたほどの大きさだった。60㎞で走ってる車にぶつかるぐらいの音らしい。
・9時10分ぐらいに、ヘリが「今から行く」と連絡があり、5分ぐらいで現地上空に現れたが、お互いの位置の確認をして下りてくるのに結構時間がかかった。ヘリに引き上げられ病院に運ばれ、病院側の来院の記録は10時15分。

《以上の情報から推測したこと》
・右手にロープバーンの跡があること、落ちる際に2mぐらい落ちていったん速度が緩んだことから、落ちる瞬間にロープを握り2m落ちるまでは片手で一旦耐えて墜落。
・落ちる時に大声を上げていたことから、落ちることは自分でわかっていたため、不意落ちではなかった。そのため、足から着地して衝撃を全て足のクッションで吸収した。結果、全負荷が腰に掛かり、腰椎1番が破裂骨折した。
・フォール後は足から着地したとは言え、全身に衝撃を受けたため、それで記憶が飛んだ。ルートの形状と落ちた位置からして、顔面は途中の岩に打ったのではないかと思われる。
 
【なぜ、ロープは解けたのか?】・事故当時はブーリンで結んでいました。通常は、末端処理の留め結びを2つしていますが、事故時は余剰分のロープが短く1つしか留め結びをしていなかったと記憶しています。※尚、事故の際の記憶を直ぐにメモ(下記写真)に書いてY花に渡していますが、そもそも事故時の記憶が少し錯綜しているので、自分の記憶ながら信憑性は低いです。
・留め結びを2つした場合でも、登っている最中に留め結びの1つが解けていることが過去にもあった。
・今回1つしか結ばなかった留結びが、登っている途中に解けた可能性がある。・このような状態(留め結びがない)で、
(1)もしロープにぶら下っておらず、ロープテンションが緩めの時に、ハーネスに通して一周しているロープ部分(リング)を引っ張ると、簡単に解けることが以前から知られている。※他の人のYoutube等にも上がっています。探してみて下さい。
(2)もしロープに普通にぶら下った状態だと、ブーリン本体が固く締まるため、リングになってるロープ部分を引っ張っても簡単には解けない。
・私の場合は、①~⑥のプロセスを経ていて(2)の側に該当するので、仮に留め結びが無かったとしてもぶら下った瞬間にブーリン本体が締まって解けなかったはずである。けど、実際には何らかの理由で解けた。

《推定》
・(1)のケースのように、ロープテンションが緩い時にリング荷重が掛かるとブーリンは解ける。
・今回は、登っている最中に体が岩に密着する体制を取ったり、あるパートを行ったり来たりしてムーブを試す場面があった。なので、その際にロープのリング部分が岩に引っ掛かったり、無意識に手でそこを触りブーリンを緩めてしまったの可能性があるのではないか。
・終了点までノーテンだったために、結び目が緩んでいることには、全く意識が向いていなかった。
⑥でロープにテンションを掛ける前の時点で既に結び目は緩んでおり、最後にテンションを掛けた瞬間に全部解けた。
・解けた瞬間にそれを察知してロープを掴み、一瞬は耐えたがその後フォールした。

《ブーリンについて》
「ブーリンはリング荷重が掛かると解ける。」「過去にグランドフォール事故が多発して、現在は基本的にご法度」とされながらも、結びやすさと解きやすさのメリットがあったので、ここ数年は使っておりました。実際、そう簡単には解けないだろうと思っていたのですが、登っている最中に体が岩と密着してその際にリングの部分が岩に引っ掛かると、『徐々に』解けうるのだということがわかりました。

今回そうした理由で徐々に結び目部分が緩み、最後にぶら下った時の一撃でロープがブーリン本体からすり抜けたのかどうかはわからないのですが、可能性としてはそれが一番高いのかなと思います。そのような状況すらも、様々な要素が重ならないと起こらないのですが、可能性がある以上起こり得るのだと思います。今回、以上のような状況で起こったとすると、全ては無意識の内に起きたことです。そんなことが起こるのかということが実際に起きたということになります。

今後、私が復活することがあれば8の字結びに戻すつもりですが、ブーリンで結ぶ方々も、どういうリスクがあるのかを理解した上で使用した方が良いと思います。今回の事故の報告が、何等かのヒントになれば幸いです。

《記憶の曖昧さについて》尚、入院した翌日に、10度しか起き上がることの許されないベッドの上で、今回の事故を記録に残そうと手書きで事故の概要(下記写真)を書いてY花に渡し、仲間内ではシェアしていたのですが、今回の記事はその時のメモを元にしています。ただし、この時点で記憶が錯綜している点もあります。

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