《ゆ》
38歳になったころからか、我ながら何だか様子がおかしかった。ブログに書いてる通り、
デトックス、みたいなことしたり、
プラモデル作ったり、
頭クルクルパーマになってみたり、
クライミングに全然価値を見出せなかったり、
なんだか様子が怪しいのだ。
そして日本からアメリカにもどり、喘息気味になって仕事で身体的にも精神的にも疲れ果てた後、とうとう
何でアメリカにいるのか
何で仕事を頑張ってるのか
もよくわからなくなった。これ、おかしい、と思ってネットで調べたところ。
中年の危機(ミッドライフクライシス)
https://matome.naver.jp/odai/2142846011006317401
というやつになっていることがわかった。
M也に「見てみて!あたしこれだった!分かってすっきりした」とメールすると
「見事なまでに、これだね。Y花、ある意味正常。俺もすっきり」
「中年の危機」は1970年代にLevinsonという人が言いだして、アメリカでは結構メジャーになった概念のようで、言ってみれば中年の思春期、アイデンティティがフワフワしちゃうようだ。たどれば、カール・グスタフ・ユングが「人生の正午」という概念を提唱していて、そこからきてるな、思った。
“Thoroughly unprepared, we take the step into the afternoon of life. Worse still, we take this step with the false presupposition that our truths and our ideals will serve us as hitherto. But we cannot live the afternoon of life according to the program of life’s morning, for what was great in the morning will be little at evening and what in the morning was true, at evening will have become a lie.”
全然準備できていない状態で、人間は人生の午後に足を踏み入れる。うんぬんかんぬん。人生の前半において素晴らしかったことは、後半ではささいなことになり、真実は嘘になる。
成程クライミングに価値が見いだせなくなるのもしょうがない。人生の後半に向かってアイデンティティが壊れ再構築される過程では、価値観の変化が日々おきてもしょうがないのだ。状況がわかったところで建設的に中年の危機と暮らしていこうと思うとすっきりして、クライミングジムにいってしまった。
ちなみに私は大学時代河合隼雄が結構好きで、ユングの心理学は割と読んでいる。で、英語でもうまく話せないなりにマニアックな話をしてしまいがちだ。ある日、そういう系が好きそうな人と「映画におけるトリックスターやアニムスといった元型について」の話になり、「Archetypes (元型) of カーヤン」って言われて「???」となってたら、「カーヤン知らないの?フロイトの弟子で・・・・」という説明を受け「カーヤン→カールヤング→カールユング」のことだとわかり衝撃を受けた。他にも、「画家のバンゴー(Van Gogh)」って言われて全然分からず、「???」となっていると「ビンセンバンゴー(Vincent van Gogh)知らないの?Sunflowers (ひまわり)とか有名な・・・」と言われて、もしやゴッホ!!となり衝撃だった。マニアックな話を英語でするのはなかなかハードルが高い。
でもさ、英語でミュンヘンのこと「Munich(ミュニック)」って読んでるけど、ドイツ人に聞いたら「ミュンヘン」っていってたからね。英語の人が勝手に変えているだけだからね!英語人も、ぜひ各国の発音を学んで両方言えるようになってほしい。
1ドルショップで歯ブラシ立てを買ってきたのだが、どうしても顔にしか見えない。このように物などに顔が見える現象をシミュラクラ現象というらしい。人間は、思い込みで意味のないところに意味を見いだせる生き物のようだ。
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